ショーソン唯一の交響曲。第1楽章、荘厳な出だしから全奏の悲痛なテーマにひきつがれていく。その後、嵐が過ぎ去ったあとのように転調し、ドヴォルザーク似のメローディアスな展開となる。第2楽章では、情感に富んだ音楽がつづくが、終楽章はショスタコーヴィチ張りの行軍的表現、大音響で締めくくられる。1939年の録音で、高音が割れ音域、音量とも貧弱なのがとても残念だが、そうした中でも、この起伏の大きい劇的な変化を演出するミトロプーロスのタクト裁きは並々ならぬものを感じさせる。
ミトロプーロスは米国で活躍した大指揮者である。1960年64才でスカラ座にてリハーサル中客死するが、あと10年存命していればステレオ音源が多く残され、今日の評価は格段に高くなっていたことだろう。死の3年前、ニューヨーク・フィル(NY)の首席の座を新鋭バーンスタインに譲り、古巣の欧州で円熟期の活躍が期待されていたからである。
NY以前の12年間、1939~47年に録音されたミネアポリス交響楽団と成果のうち、上記ショーソンでは現代(同時代)音楽への積極的アプローチが光る。そして、作曲家、ピア二スト、指揮者の恵まれた才能をもった彼にとって、バーンスタインはすべてを継承できる逸材であり、NYでは若きバーンスタインがその後、出藍の誉れぶりを発揮することになる。
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