ベートーヴェンの5番、1940〜50年代はフルトヴェングラー、トスカニーニの両巨星の演奏が、前者はドイツ精神主義の精華、後者は機能主義的アプローチの模範として尊重された。1960年代以降はステレオ録音が登場し、大勢は音響も加味して評価する方向となり、先行して人気を得たのはライナー/シカゴ響(1960年)だったと思う。
一方、カラヤンはベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集を60年代から累次にわたって世に問い絶大な影響力を及ぼす。では、ライヴァル・オケたる天下のウィーン・フィルはどうであったか?
イッセルシュテットが1968年全集を収録し大きな注目を集めた。特に、ベンチマークたる5番、9番は名演の誉れ高く、5番では人気絶頂のカルロス・クライバー盤(1974年)がのちに登場するまでは推選盤筆頭という評価も稀ではなかった。
改めてその5番を聴く。遅い演奏といってよいだろう。ライナー盤との各楽章比較では、第1:8:07(ライナー、以下同7:28)、第2:10:28(10:04)、第3:6:00(5:26)、第4:8:58(7:59)と第1〜3楽章までは各約30秒の遅行だが、なんと第4楽章は約1分も長い。しかし、遅いということを意識するのは実は他との比較においてであり、イッセルシュテットにとってはこの偉大な曲をキチンと過不足なく再現するためにはこのタイム・キーピングは必須であったのではないかと感じさせる。折り目正しく一切奇をてらわぬ正攻法の演奏である。
イッセルシュテットは北部ドイツ人ながら、フルトヴェングラー的なデーモンとも、ましてトスカニーニ的切り立つような彫刻美ともまったく異なる。テンポは動かさず悠然と落ち着いた構え、強奏は乱れず一定の節度を保つ。作為的な情緒とは無縁ながら滋味に富む。無理のない安定した運行ゆえに、神経は細部までゆきとどき、ウィーン・フィルはいかにも沈着な対応ながら、その実、指揮者、オケともに「前向き」な曲づくりの姿勢が自然に伝わってくる。5番に限らず、聴くうちにベートーヴェンの意図した音楽がここに見事に再現されているのではないかという確信がもてるような、安定した実に良い演奏である。
→ Brahms: From Hamburg も参照
一方、カラヤンはベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集を60年代から累次にわたって世に問い絶大な影響力を及ぼす。では、ライヴァル・オケたる天下のウィーン・フィルはどうであったか?
イッセルシュテットが1968年全集を収録し大きな注目を集めた。特に、ベンチマークたる5番、9番は名演の誉れ高く、5番では人気絶頂のカルロス・クライバー盤(1974年)がのちに登場するまでは推選盤筆頭という評価も稀ではなかった。
改めてその5番を聴く。遅い演奏といってよいだろう。ライナー盤との各楽章比較では、第1:8:07(ライナー、以下同7:28)、第2:10:28(10:04)、第3:6:00(5:26)、第4:8:58(7:59)と第1〜3楽章までは各約30秒の遅行だが、なんと第4楽章は約1分も長い。しかし、遅いということを意識するのは実は他との比較においてであり、イッセルシュテットにとってはこの偉大な曲をキチンと過不足なく再現するためにはこのタイム・キーピングは必須であったのではないかと感じさせる。折り目正しく一切奇をてらわぬ正攻法の演奏である。
イッセルシュテットは北部ドイツ人ながら、フルトヴェングラー的なデーモンとも、ましてトスカニーニ的切り立つような彫刻美ともまったく異なる。テンポは動かさず悠然と落ち着いた構え、強奏は乱れず一定の節度を保つ。作為的な情緒とは無縁ながら滋味に富む。無理のない安定した運行ゆえに、神経は細部までゆきとどき、ウィーン・フィルはいかにも沈着な対応ながら、その実、指揮者、オケともに「前向き」な曲づくりの姿勢が自然に伝わってくる。5番に限らず、聴くうちにベートーヴェンの意図した音楽がここに見事に再現されているのではないかという確信がもてるような、安定した実に良い演奏である。
→ Brahms: From Hamburg も参照
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