木曜日, 10月 07, 2021

マーラー 交響曲第9番 名盤5点


 




第9番といえば、やはりワルターからはじめなければならないだろう。

ワルター

ワルター初期録音 独特な緊張感 (amazon.co.jp)


マーラー逝去の翌年1912年6月にワルター/ウィ−ン・フィルによって初演された本曲。本盤は約四半世紀後、同じ組み合わせでの歴史的なライヴ演奏(SP録音の復刻)。その後、ワルターは初演から約半世紀後、晩年の1961年にもコロンビア響  Bruno Walter Conducts Mahler  で再録を行っている。

初演者ならではの「絶対価値」的な呪縛からか、本38年盤以降、9番の録音はながく封印されていた。その呪縛を解いたのもワルター自身であり、氏没後、バーンスタイン(1965年) 
Complete Symphonies 、クレンペラー(1967年) Mahler: Symphony No 9  らの非常な名盤の登場によって一気に本曲の普及がすすむ。

38年盤、61年盤とも、それぞれの個性と価値をもつが、第3楽章までの解釈には基本的に大きな相違は感じない。その一方、38年盤第4楽章の速いテンポと感情表出には強い驚きがある。いまと違って、長大なマーラーの9番に聴衆の集中力を途切らせないために、「きわめて反抗的に」盛り上がる第3楽章ロンド・ブルレスケ(戯れの曲)のあと、ワルターはあえてこうした斬新なアプローチをとったのかも知れない。対して61年盤では「さらば、わが糸のすさびよ」(マーラー草稿最終ページ)の如き、滔滔たるマーラー最後のアダージョである。

一般には録音状況がよく、かつ細部まで目届きされマーラー解釈が濃縮されている61年盤を選択すべきだろうが、本盤の独特な緊張感にも比類ない感動がある。

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次にジュリーニを聴いてみよう。いかにもジュリーニらしいスタイリッシュなアプローチである。

ジュリーニ

ジュリーニ、堂々とスタイリッシュなマーラー第9番 (amazon.co.jp)


マーラーの第9番には名盤が多い。伝統的な交響曲作法に戻ったような親しみやすさに加えて、弦楽器によるマーラー最高の美しきメロディが波状的に心を揺さぶる一方、あたかもそれに拮抗せんとするような管楽器のダイナミックな戦闘力も展開される。そして両者をときに不安定に、不気味につなぐ木管楽器や打楽器の役回りも効果的である。
1976年4月、シカゴ響を振ってのジュリーニ盤はこうした基本を押さえたうえで、楽章によっては思い切ってテンポを落として、じっくりと、たくまずに、堂々とスタイリッシュに演奏する。

中間2楽章はすっきりとした印象だが、第1楽章:アンダンテ・コモドは32分弱、第4楽章:アダージョは約25分半である。しかし、長丁場でも旋律は息づいており長さを厭うよりも音楽に沈潜する喜びがある。かつ、全体を通して、べたつく感傷もなければ、色調の暗さもない。これは名人芸である。

しかし、ワルター  
マーラー:交響曲第9番  やクレンペラーらの演奏に感じる異様な緊張感や諦観的弛緩の要素はない。それこそがジュリーニ流なのだと思うが、本曲に何を求めるかはリスナーの時々の心理如何かも知れない。

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シノーポリも大変優れた演奏である。この人らしい個性が横溢している。

シノーポリ

シノーポリ、斬新なるマーラー像の提示 (amazon.co.jp)


ジュゼッペ・シノーポリは、存命していれば、間違いなく現在のクラシック音楽界の風景を大きく変えたであろう逸材である。

シノーポリの演奏の特質は、ワルター、バーンスタインやテンシュテットなどにみられる、マーラーが9番という曲にどのような思いを込めるのかといった主意主義的なアプローチではないと感じる。

作品を一度、徹底的に解剖し、要素分解してのち緻密に組み立て直したかのような演奏で、怪奇的、腺病質的、耽美的、激情的な表現が、場面によってカメレオンのように変化しつつ、あくまでも「音の素材」として十全に表現される。
しかも、シノーポリの高度な技法だがオーケストラから全放射される音が千変万化する。ドレスデン・シュターツカペレの音はフィルハーモニー管(1993年、セッション録音)にくらべて重く、かつテンポはさらに遅く演奏時間は93分を超えて長大だ。

マーラーの9番は現代音楽の秀でた先駆といったアプローチだが、ライヴならではの緊張感と凝縮感は十分で、シノーポリはここで、いままでにない斬新なるマーラー像を提示している。

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クレンペラーは、「破格」の演奏である。

クレンペラー

直弟子クレンペラー、特異な名演 (amazon.co.jp)


クレンペラー81才、晩年期1967年2月の録音。クレンペラーがマーラーと知り合ったのは1906年、21才(マーラーは46才)の時であった。その後、マーラーの強い推戴によって、指揮者としての数々の地位をえることとなるので、クレンペラーにとってマーラーは生涯の恩人であり、彼は自他ともに認めるその直弟子である。本盤は、知遇をえてのち約60年後、恩師最後の交響曲、渾身の収録である。

しかし、この演奏にはいささかも軟(やわ)なセンティメンタリズムはない。同じ愛弟子たるワルター(本曲の初演指揮者)の甘美なるメロディの彫琢もない。おそらくは、マーラーの音楽の本質を後世に伝えようという強い意志と自らの確立された解釈の披瀝にのみ関心があったのではないか。

第3楽章までの、豪胆ながら、部分的にはぶっきらぼうとも思えるほど突き放した音楽が、終楽章に入ると、19世紀の余韻を色濃く感じさせる美々しくも高貴なアダージョに転回する。その劇的なる変化を、これほど鮮やかになしえた演奏は稀有だろう。しかも、全曲をつうじて、クレンペラーらしい遅く一定のテンポのなかにあって、劇的なる転回は、あくまでも作品に内在されているもので、指揮者が意図的になしているものではないと強く主張しているようにも感じる。

1969年、小生がはじめて手にしたマーラーのレコード(当時、2枚組で4千円と高価)がこれであった。高校生になったばかりの当時、この長い1曲をクレンペラーの演奏で聴くのには正直、かなりの忍耐を要したし、バーンスタインの没入型の演奏の方にはるかに魅かれた。しかし、今日聴きなおしてみると、一見、武骨で感情移入が抑えられているこの演奏が、作品のリアルな姿を浮かび上がらせ、素材の良さをもっとも引き出しているようにも思える。特異な名演である。


バーンスタイン

レナード・バーンスタイン/マーラー:交響曲第6番「悲劇的」&第9番 (tower.jp)

レナード・バーンスタイン/バーンスタイン/マーラー:交響曲第9番<期間限定生産> (tower.jp)

レナード・バーンスタイン/マーラー:交響曲第9番 (tower.jp)

レナード・バーンスタイン/マーラー:交響曲第9番 (tower.jp)

レナード・バーンスタイン/マーラー: 交響曲第9番<限定盤> (tower.jp)

織工Ⅲ: バーンスタイン マーラー9番 (shokkou3.blogspot.com)

織工Ⅲ: バーンスタイン マーラー交響曲全集 (shokkou3.blogspot.com)


(参考)

ダニエル・ハーディング/マーラー: 交響曲第9番 (tower.jp)


👉 織工Ⅲ: 名盤5点 シリーズ (shokkou3.blogspot.com)


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