Friday, September 16, 2016

04.好きな音楽を聴くと、痛みが和らぐなんて話も



【以下は引用】
また、音楽には痛みを和らげる効果が見られたとか。特定のジャンルによるものではなく、本人の関心に強く依存しているのだそう。つらいことがあったときには、大好きな音楽を聞くっていうのも有効な方法かもしれませんね。
http://getnews.jp/archives/1521522

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小生のお薦めは

ブルックナー:交響曲選集
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ブルックナー:交響曲選集                              

シノーポリの膨大なレパートリーのなかで、彼はブルックナーよりもマーラーを得意とする指揮者という見方が強いように思う。ブルックナーの録音は80年代後半以降、ドレスデンと行われた。

その記録は、4番 (1987年9月)、3番(1990年4月)、7番(1991年9月)、8番(1994年12月)、9番(1997年3月)とつづき最後の5番(1999年3月)へいたる。

 シノーポリは、ドレスデンを振った先人の仕事(代表的な首席指揮者:1934〜43年 カール・ベーム、1945'〜50年 ヨーゼフ・カイルベルト、1949〜53年 ルドルフ・ケンペ、1953〜55年 フランツ・コンヴィチュニー、1956'〜58年 ロヴロ・フォン・マタチッチ、1960〜64年 オトマール・スウィトナー、1964〜67年 クルト・ザンデルリンク、1975'〜85年 ヘルベルト・ブロムシュテットなど。いずれも名だたるブルックネリアーナ指揮者である)をよく研究しており、その奥行きのある深き響きに魅せられていたようだ。この点はインタビューなどでも本人が語っている。

この地へのデビューもブルックナー(4番)であり、ブルックナー・チクルス(連続録音)は大変重要な意味をもっていた。その経過をみても、後期3曲は順に録音しており、(もちろん超多忙であったということもあろうが)慎重に時間をおいて、7番のあと3年をへて8番を、さらに時間をおいて9番をと計画的に取り上げ、最後の5番まで約13年の時月が流れている。シノーポリのブルックナーでは、

 第1に、重厚で緻密な音の響きを重視している。それは伝統あるドレスデンとの共演ということももちろんあるが、ブルックナーの本源的な魅力をそこに見ているからではないかと思う。その一方、速度の可変、フレージングの技法は意識的に抑制されている。この流儀は残された録音すべてに共通する。一切のデフォルメ(過度な劇的な様相)を感じることがない。滔々たる流れは聴きこめば心地よき快感にかわる。

第2に、彼自身がすぐれた作曲家であったゆえに、ブルックナーの音楽の捉え方も、(ブルックナー自身がいくどもそう語っているように)その独特のメロディは天からの授かりものであり、同じ作曲家の感性で、それを徹底して追体験し再現してみようと試みているのではないかと想像する。それは、「心情」に寄り添う(情緒的)というよりも、いわば作曲家の「頭」で考える(分析的)という方法にみえる。

  第3に、全体として作為的な要素がなく、上記のとおりアゴーギグなどの技法も抑制的。原曲の特性を深く掘り下げることに腐心するが、いわゆる大向こうを唸らせるような派手さ、斬新さはない。マーラーと演奏の激烈さとの対比では、平板な演奏とも受け取られかねない。評価がわかれ、一般の人気に乏しい所以だろう。 しかし、じっくりとブルックナーの楽曲の深部にふれたい向きにはこのアプローチは得心できるのではないかと考える。以下は各番別に若干のコメントを。

【第3番】 
 本番では、良く演奏される稿としてノヴァーク第2稿(1877年)と第3稿(1889年)がある。この第3稿では相当なカットが行われていることから、演奏時間に影響しどちらをとるかには否応なく関心の集まるところだ。最近はワーグナーの影響の濃い第1稿(1873年)を演奏するのも一種のブーム。シノーポリ盤はブルックナーの自主的な改訂を踏まえた第2稿(ノヴァーク版)を採用している。
 全般にテンポの可変性を抑えた運行である。第1楽章、ヴァイオリンを中心とする第2主題の提示ではドレスデンの良質な弦のアンサンブルを際だたせ、第3主題の管の強奏ではこれを存分に響かせるなど、この楽章は、オーケストラの力量をみせるいわば「顔見せ興業」のような感じ。
 第2楽章以降もこの傾向はつづくが、録音のせいかやや管楽器の物量が大きく出すぎているような場面もある。弦楽器の残響の美しいルカ教会での収録なので、ドレスデンの薄墨を引いたような上品な良さがある弦楽器がもっと前面にでても良いのにと思う。また、ある楽章にアクセントをおき、それをもって全曲の隈取りをはっきりさせるといったヨッフム、クレンペラー的なスタイルをとらず、シノーポリは楽章毎に実に淡々とこなしていくといった流儀とみえる。

【第4番】
 4番の第2楽章。静寂な朝靄のなか、ほの明るき黎明、そして一気に立ち上がる日の出をへてふたたび静謐な空気に包まれていく・・・といったイメージが丹念な音の積み重ねによって見事に表現されている。他方、終楽章での激しい盛り上がりを期待すると肩透かしをくう。一種ユニークだが、背後の一貫した音響美を最後まで味わおうとするリスナー向けの演奏ともいえよう。

【第7番】
 素材の良さを丹念に引き出せば、そこから自然に感動が生まれると、しかと確信しているような演奏である。第2楽章の音響美がそうした特質をもっとも端的にあらわしているが、楽章ごとにかくあるべしというイメージはもっており、第3楽章の「ほどよき」快活さ、終楽章の「節度ある」盛り上げ方とも落ち着いた演奏スタイルを堅持する。

【第8番】
 テンポを一定に保つ点、たとえばベームと同様である。では、メロディづくりの特色はどうか。本曲では、第1楽章「死の予告」や「あきらめ」、第2楽章の「ドイツの野人」、終楽章「コサック隊の進軍」といった作曲者が語る標題性がある。しかし、シノーポリは標題にとらわれるのでなく、その背後にある音楽そのものに迫る。ここがシノーポリの真骨頂で、前述のように、彼は作曲家が創造的なメロディを記譜できるのは一種の「天啓」と思っていたのかも知れない。

【第9番】
 すでにドレスデンと10年の関係をへて収録であり、確固たるアプローチにくわえて円熟味が増している。ライヴ録音ゆえ、第1楽章にはいつになく熱気を感じさせるが、テンポの安定、内省的で深い音響はかわらない。第2楽章では強烈なリズムが刻まれ、諧謔的表情も垣間見せるが、全体としてはブルックナーにおける「ダイナミズムの総決算」といった集約度で一気に駆け抜ける。第3楽章の詠嘆的なアダージョは、響きがいっそうの深みを増すが、それはいささかも混濁せず美しい透明感がある。清浄さのなかに救済の予感がこめられているかのようだ。遅めの運行、弦楽器と管楽器が融合した濃密な響き、見事な充実度である

<収録情報>
 ブルックナー:交響曲選集
第3番 ニ短調《ワーグナー》(1877年ノーヴァク版)1990年4月
第4番 変ホ長調《ロマンティック》(1878/80年ノーヴァク版)1987年9月 
第5番 変ロ長調(ノーヴァク版)1999年3月※
第7番 ホ長調(ノーヴァク版)1991年9月
第8番 ハ短調 (1890年ノーヴァク版)1994年12月 
第9番 ホ長調(ノーヴァク版)1997年3月※

※ライヴ・レコーディング

→ Art of Giuseppe Sinopoli も参照
 

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