Friday, May 11, 2018

シューマン 交響曲

ムーティ  シューマン:交響曲第1番「春」&第4番ムーティ(リッカルド)に感化されて今日は久しぶりにシューマンの交響曲を集中して聴きたくなった。普段はシノーポリ、テンシュテットなどが愛聴盤なのだが、それ以外のもの、ちょっと古い音源で聴きなおしてみたい。さて、何を選ぶか?
1番はミュンシュ、2番はセル、3番はトスカニーニ、そして4番はグィド・カンテッリでいこうか。

シューマン : 交響曲第1番「春」&メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」
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シューマン:交響曲第1番

 
セル指揮クリーヴランド管 シューマン:交響曲第2番 ルガノ・ライヴ

セル指揮クリーヴランド管 シューマン:交響曲第2番 ルガノ・ライヴ

 
シューマン:交響曲第2番
 

シューマン:交響曲第2番、「マンフレッド」序曲

 
シューマン:交響曲第1番「春」&第4番
 

シューマン:交響曲第1番「春」&第4番

 
 
シューマン:交響曲第3番
 

シューマン:交響曲第3番

シューマン:交響曲第4番
 
 

シューマン : 交響曲 第3番「ライン」

シューマン : 交響曲 第3番「ライン」

トスカニーニは、やはり一頭抜けている。ここまで大胆な演奏ができるのは、やはりヴィルトゥオーゾ時代の背景とトスカニーニの自信に満ちたアプローチあればこそであろう。ベートーヴェンもブラームスも、そしてこのシューマンも構築美の堅牢さ、ダイナミズムの強さでは一貫している。

トスカニーニが目の中にいれても痛くないほど愛し、それゆえ不幸な航空機事故によって急逝した事実を、まわりがトスカニーニに伝えるのを憚ったほどのグィド・カンテッリ。こんな演奏が30代半ば(死の2年間)にしてできるのだから、さもありなんと思わせる。カンテッリには数種の4番の録音があるようで彼の得意の演目であった。

セルのクオリィテイの高さは、シューマンでも遺憾なく発揮されている。トスカニーニが直接指導し、あまりに煩いリハーサルにあきれたとも使えられるセル。でも、だからこそクリーヴランドの田舎のオケを全米第一に伸し上げたのだろう。ルガーノ・ライヴに接した欧州の聴衆は、その響きの美しさに節句したのではないか。70年の最初で最後の東京公演を聴いた、その追体験からそう思う。

上記3名に対して、ミュンシュの演奏はもっとプロ・ドイツ的である。フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、ワルターの指揮で首席ヴィオラを弾いていた経験から、ここでの演奏は、フランス音楽の大家シャルル・ミュンシュというよりも、ブラームスなどのドイツ音楽を得意としたゲオルグ・ミュンヒといった感じである。

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